年齢を気にしすぎ!何歳になっても気にしない我が道を行く生き方!
日本人はやたら年齢を気にする傾向があると感じるのは私だけでしょうか。
テレビでもタレントさんの名前の横には必ずと言っていいほど、
一般人の方のインタビューでも意味なく表示されています。
この年齢と本人を見比べて、
「私より若いのに凄い!」「いい年してるのに常識がないなぁ」
「相変わらず綺麗」「今の方が親しみが持てる!」などなど、
相手の年齢を基準に、いろいろ考えてしまうのはきっと私だけではないでしょう。
そこで今回は、
この「年齢とは何なのか」について考えてみました。
年齢の意味とは?
もちろん、お酒やたばこ、選挙権、法律関係のために
年齢制限が必要な場面はたくさんありますし、なければ社会が混乱します。
しかし、その必要がない「年齢での勝手な枠組み判断」を多くの人がしがちです。
例えば、大人になってからある程度年齢を重ねていくと、
「この年齢だからこうしなければいけない」
「もうこの年齢だからしてはいけない」
「年相応に振舞わなければいけない」という、
何かしら自分の中で年齢を理由に制約をかけがちです。
また、
「この年齢までには結婚しなければいけない」
「この年齢なのに、社会的地位が低すぎる」などなど、
社会の暗黙のルール的なプレッシャーもあります。
しかし、この「年齢での勝手な枠組み判断」はあまりあてになりません。
なぜなら、10代でも廃人のような毎日を生きている人もいれば、
70代でも夢を追い続けている人がたくさんいるからです。
他者との比較材料
それではなぜ、この「年齢での勝手な枠組み判断」がよく使われるのでしょう。
答えは簡単!他者との比較対象がしやすいからです。
人は、他者と比べて自分を評価します。
でなければ、自分の立ち位置が認識しにくいからです。
その際によく使われるのが、この「年齢」という物差しです。
この「年齢物差し」は良くも悪くも働きます。
自分より年齢が上なのに、「だらしがない人」「綺麗な人」「元気な人」、
自分より年齢が下なのに、「実力のある人」「成功している人」「不健康な人」、
勝手に他者と比較した結果、ホッとしたり腹を立てたりしているわけです。
でも、他者を「年齢物差し」で計ったところで、自分の人生が変わるわけではありません。
なぜなら、「生」の時間の長さは平等ではなく、
10代でも失われる命、80代でも意気揚々人生を謳歌している命、それぞれだからです。
ひとつだけ平等として言えるとすれば、
「明日の生」が誰しも保障されていないという点だけでしょう。
つまりは、他者を「年齢物差し」で計って一喜一憂するのではなく、
明日死ぬかもしれない、今日を生かされている自分の奇跡に感謝して、
自分らしい生き方をすることの方が、よっぽど意味があるのではないでしょうか。
年齢に惑わされない生き方を
「人生を変えよう」「夢を実現しよう」と思う人は、世の中にいっぱいいます。
でも、その実現に向けてしっかり努力している人は、
「◯歳だから努力しよう!」「◯歳では早すぎる」なんて、
年齢で動いているわけではありません。
実際に世の中で成功し活躍している人の年齢はバラバラです。
つまり、他者と比較するのなら、
年齢ではなく「生き方・価値観」に焦点を当てるのが正しいことになります。
実際、社会で成功者と呼ばれる人たちは、
相手を年齢で計ってしまうと、本当の実力を見誤って足元を掬われることがあるそうで、
相手の年齢を意識して向かい合うことはないそうです。
他者と比較する理由とは?
他者と自分を比較してしまうのは、ズバリ今の自分の生き方を肯定したいから。
でも、先ほどもお伝えしたように、比較したところで自分の人生は基本的に変わりません。
それよりも、他者を認め敬う気持ちを持とうと意識する方が、
人として成長することができるのではないでしょうか。
考え方によっては、年齢を重ねるからこそ経験が増え、
より賢く物事が容易に柔軟に受け入れやすくなるともなります。
年齢を重ねるごとに、自分自身に自信が持てるようになり、
生きる心地良さにうっとりできる可能性もあるのです。
まとめ
いかがだったでしょうか?
「もう◯歳だから」「いい年齢だから」と、諦めることは簡単ですが、
自分を年齢で制限してしまう必要はまったくないですし、
結果、自分の可能性を自分で閉ざしてしまうことになりかねません。
年齢をどう重ねるのかは、結局は本人の考え方次第です!
一度きりの人生!
せっかくなら年齢に縛られることなく、幾つになってもチャレンジする気持ちを忘れない、
他者から「いつまでも輝いている人!」と、
尊敬されるような素敵な年齢の重ね方をしていきたいものですね♪( ´▽`)ノ